「自分のこどもを預けたいと思える保育園をつくりたい」という思いで、1994年に保育事業をスタートしたベネッセ。2020年4月現在、ベネッセスタイルケアの保育園は全国60園となり、「よりよく生きる力(Benesse)の基礎を育てる」を理念に、こども達とかかわっています。この度、ベネッセスタイルケアでは、20年以上にわたって大切にしてきた保育理念と経験知を、パターン・ランゲージの手法を用いて「40の手掛かり」に言語化し、『その子の宇宙が拡がり続けるためのことば』としてまとめました。制作にいたる背景や現場での活用法について、スペースデザイン部の加藤イオさん、こども・子育て支援カンパニー長の佐久間貴子さんのお二人にお話を伺いました。

環境づくりの「実践知」の言語化に取り組む

加藤さん:私は開発基盤本部という組織の中のスペースデザイン部で、主に高齢者ホームの設計・プロデュースに携わっています。提供したいサービスを実現するための建物を設計するのが私の役割です。当社のパターン・ランゲージの1作目『その方らしさに寄りそった環境づくりの手掛かり〜高齢者ホームの環境創造を支援するパターン・ランゲージ〜』、および、今回の『その子の宇宙が拡がり続けるためのことば〜保育実践から生まれたこどもが伸びる40の手掛かり〜』は、主に、私と開発基盤本部長の米須正明を中心とするプロジェクトチームで取り組みました。

佐久間さん:私は、ベネッセスタイルケアで保育事業に携わって19年目となり、保育事業と学童事業の責任者をしています。現在、全国に60園の保育園があります。私が保育の現場に出ることはありませんが、日々、園長先生を始めとする現場のスタッフと、やり取りをしています。

加藤さん:私たちが、パターン・ランゲージを取り入れたのは、当社の代表 滝山真也が、井庭さんの『旅のことば〜認知症とともによりよく生きるためのヒント〜』を社内の会議で紹介したことがきっかけでした。パターン・ランゲージは、もともと建築分野で作られた言語生成法だということもあり、滝山からスペースデザイン部に、「高齢者事業と保育事業の建築や環境をテーマにして、実践知の言語化ができないか」と課題が与えられたのです。ですから、当初は、介護事業と保育事業ふたつのハード面について、それぞれ言語化することを目指し、同時スタートしました。
ところが、初めての試みだったこともあり、すぐに「同時進行は難しそうだ」と。そこで、まずは高齢者ホームから取り組むことになり、できあがったのが『その方らしさに寄りそった環境づくりの手掛かり』でした。ほぼ完成というタイミングで、井庭さんに見ていただく機会があり、パターン・ランゲージの学会に出さないかと誘っていただきました。この1作目で、パターン・ランゲージ制作のコツと楽しみ方をつかんだ感覚があり、「次は保育の環境を言語化しよう」という流れになったのです。

保育園の「環境」は、子どもとの関わり方だった

加藤さん:最初は、介護の時と同様に、保育園の環境を言語化するつもりで、現場にヒントをもらうために、「環境について、こだわっていることを教えてください」とヒアリングを始めたのです。ところが、園長先生からハードの話はほとんど出てきませんでした。保育園は高齢者ホームのように個々のつくりが大きく変わることはないので、決められた形の箱の中で、地域特有の子ども達への関わり方や、子ども達の成長に合わせて、園長先生や保育スタッフが保育環境を変化させていたのです。ですから、園長先生から出てくるおもしろい話はすべて、「何を大切にしながら、子ども達と関わっているか」ということばかり。インタビューを何回か重ねて、プロジェクトメンバーと「介護現場とは違い、言語化するべきはハード面ではないね。」という話になりました。そこから、ソフト面を言語化することにシフトしたのです。
10園あまりを訪ね、園長先生に「保育園で大切にしていること」をテーマに、日々の様子を聞きました。それらの話をテキスト化したものを、プロジェクトメンバーと一緒に読み返しながら、共通事項を抽出。最終的に40個に絞り込んだパターン・ランゲージを、7つのカテゴリーに分類して、パイロット版を作成しました。ここまでで、約1年かかったと思います。

佐久間さん:保育側がどんどんエピソードを出し、加藤さん達がそれらを整理していく役割でしたが、やはり、加藤さん達には1作目を制作した経験がありましたので、随分リードしてもらったと思います。

加藤さん:パイロット版ができた時点で各園に配布して、スタッフに読んでもらい、それぞれのパターンにつながるエピソードを募集したら、200件ぐらい寄せられました。それらの中から、社長とプロジェクトメンバーを含めた本部の投票で選出したエピソードを、各カテゴリーに挟んでいきました。その過程で、「あの先生とこの先生は、表面的にでてくる表現は違っているように見えても、根本的には同じ思いで、同じことを言っているよね」というような、おもしろい気づきもありました。

「子どもの可能性」への感動から、タイトルが生まれた

加藤さん:パイロット版を現場のスタッフに見てもらうときは、かなり緊張しました。保育は私の専門領域ではく、好き勝手な言葉を使って作ってしまったので、どう思われるかなと。読み手の視点を増やすために、あえて専門用語を使わなかった側面もあるのですが、保育のプロの皆さんが、こだわって使っている言葉をほかの言葉に置き換えたことについて、不快感や違和感を持たれないかという不安があったのです。でも、案外受け入れてもらえたように感じました。

佐久間:保育側としては、「加藤さんと米須さんが、一生懸命に話を聞いてくれて、いつも自分たちが使っている言葉を、アーティスティックな言葉にしてもらえた」という感覚だと思います。たとえば、保育室は、おもちゃを入れた棚を並べているので、凹凸(おうとつ)のある空間になっています。私たちは、その均質的ではないバリエーション豊かな空間こそが、子どもにとって居心地のよい空間になると考えているのです。それが、《凸凸凹凸(とつとつおうとつ)〜出っ張りとへこみの協奏〜》というパターン・ランゲージになりました。
また、保育スタッフは、狭い部屋を有効活用するために、1日に何度もテーブルのレイアウトを変えて、食事の場所にしたり、共同作業の場所にしたり、空間を変化させています。パターン・ランゲージでは、そのことを、「空間」という直接的な言葉を使うことなく、《テーブルの七変化》と表現で伝えてくれています。現場のスタッフにとっては、「私たちの工夫を、こんな風にとらえてくれたのだ」というのが、嬉しいのではないでしょうか。

加藤さん:ネット上で、誰でもマネできる、使いたくなる言葉が流行ることがありますが、そういう感じがよかったのかなと思います。プロジェクトを進める過程で、私たちは、あることに気づきました。介護事業では、私たちが「舞台=環境」を作って、そこに高齢者をお連れすることがあります。一方、保育事業においては、決まった舞台は存在せず、子ども達一人ひとりがとらえる環境や世界、宇宙の広さが違うのです。子ども達の可能性が、あまりにも広いことに気づいた私たちは、「こどもは宇宙だね」、「こどもの可能性は無限だね」と感動し、盛り上がりました。その時に生まれたのが、『その子の宇宙が拡がり続けるためのことば』というタイトルでした。


『その子の宇宙が拡がり続けるためのことば』
素敵な表紙デザインも目を惹く。2019年度グッドデザイン賞受賞。


佐久間さん:PJの中では「こどもは宇宙だ!」と盛り上がったのですが、経営会議でタイトルを報告したときは、「あなた達は、いったいどこまで行ってしまうのか」と言われましたよね(笑)。加藤さんの描く影絵のイラストが、一枚ずつ出来上がっていくときに、さらにイメージが広がり、イラストは言葉以上に伝わるものがあると感じました。そして、デザイナーさんが作った表紙のデザインがあがってきた時に、また感動がありました。

加藤さん:イラストを描くのは苦労しました。影絵にしたのは、イメージを固定したくなかったからです。年齢や性別、人種を問わず、これを手に取る人が思いを馳せる相手が、イラストに投影されるといいなと思います。表情も表現されないので、自由に想像することができます。

パターン・ランゲージは、マニュアルではなく具現化された理念

佐久間さん:完成品を見たときは、「保育に関わっている多くの人の思いが一つにまとまった」と感動しました。ベネッセスタイルの保育事業には、保育の考え方をまとめた「ベネッセの保育の考え方」という冊子があるだけでした。「どうやって60園の園で同じ理念を共有するのか」というのは、長年のテーマで、理念の言語化を試みたこともありますが、うまくいきませんでした。それが今回、「関わり方」という観点からパターン・ランゲージを作ったことで、「なんだ、今まで苦労してきた理念の具現化、言語化ができたよね」と。
一方、私がもっとも懸念したのは、現場のスタッフに、これを「マニュアル」だと思われてしまうことでした。「ベネッセの保育では、この40個を実行しなければいけない」と思われてしまうとイヤだなと。実際に、「自分たちの保育を40個に固定されてしまった」と誤解されたこともありました。この誤解を解くために、根気強く、「これはマニュアルではない。絶対こうでなければいけない、ということでもない」と説明してきました。パターン・ランゲージは、使っていくと、広がりを感じられるので、今では、本来の意図に気づいてもらえたと思っています。もちろん、毎年たくさんの新入社員が入ってきますので、「マニュアルでも答えでもない」ということは、言い続けていく必要はあると感じています。

加藤さん:パターン・ランゲージの2作目が完成した今、1作目を振り返ると、「随分まじめだったな」と感じました(笑)。建築は、私自身の専門領域だったこともあり、環境を言語化する過程で、枠を外し切れていなかったと思いますね。保育は、全くの専門外だったために、ある意味、気楽に関わることができたので、作り手の表現できたゆとりが、読み手の解釈の幅のゆとりにつながって、ツール化したときに広がる会話にも幅が生まれるのではないでしょうか。

佐久間さん:パターン・ランゲージの活用として、まずは、園長先生が集まる場で、カード版を使ったワークをしました。6人ほどのグループで、真ん中に並べたカードから、自分が気に入ったカードを選び、そのカードを選んだ理由にからめて、園での取り組みや経験をシェアしてもらいました。私が印象的だったのは、ある園長先生が、《1/365〜その日は、あなただけの誕生日》のカードを選び、「お誕生日の1日もその子にとっては大切な一日だけど、普通の一日もその子にとってはその日しかないので、大切にしたいと思っている」と話してくれたこと。「すごい、そんな風に考えているんだ」と感じましたし、カードを通じて、自分の思いを語ることができるのは、すばらしいことだなと。今では、園内研修でパターン・ランゲージを使ってディスカッションをしたり、給食スタッフの会議で《食べるは楽しい》というカードについて考えたり、様々に活用してもらっています。


書籍だけでなく、40のことばは1枚1枚カードに。
これらのカードは、先生同士や保護者との対話やディスカッションに活用できる。


加藤さん:こどもが一人でくつろぐ状況を意味するパターン・ランゲージとして、《ピットイン》というのがあるのですが、誰かがソファーでくつろいでいると、スタッフの間で「ピットインしているね」という感じで、日常的に使ってもらっているのですよね。

佐久間さん:保育スタッフと保護者とのコミュニケーションツールにもなっています。たとえば、水槽の横に《生き物は保育者一人分》というカードを置いておくと、「こういうこだわりで、魚を飼育している」ということを伝えることができます。

佐久間さん:昨年は保育事業25周年のイベントで、フォトコンテストを開催しました。ちょうど、パターン・ランゲージが発行された後でしたので、好きなパターン・ランゲージをテーマとする写真を、スタッフから募集したところ、81枚の作品が集まりました。こども達が南極の氷に触れている、《本物に触れる》をテーマにした写真をはじめ、こどもの自然な表情をとらえた良い写真ばかりでした。パターン・ランゲージは、無限の可能性があると感じています。


フォトコンテストに応募された写真
南極の氷をみんなで嬉しそうに囲み《本物に触れる》ことを楽しんでいる。


加藤さん:パターン・ランゲージを作る過程は、保育者のまなざしを切り取る作業でしたが、完成したパターン・ランゲージから、さらに新しい保育者のまなざしが生まれる、その連鎖がいいですよね。

保護者の声をきっかけに、出版化も

加藤さん:完成したものを園の玄関に飾ってもらっていたら、送迎の際に手に取った保護者が、「子育ての参考になる」と興味を持ってくださって、「出版はしないのですか?」と。それがきっかけで出版につながりました。私自身も、子育て中の親として、「もっと早く現場のプロの考え方を知っていれば、子育てに活かせたのに」と思う気持ちがありました。下の娘の小学校受験の面接対策のために、テーブルにカードを並べて、夫婦で、「僕たちの家で大切にしている教育は何だろう」と話し合いました。子育てをする夫婦間のコミュニケーションツールにもなると思います。

佐久間さん:元々は、「社内で大事なことを共有したい」という目的で作ったものだったので、社外に出すことは考えていませんでした。保育の世界は歴史が長く、保育事業に参入して25年の私たちは、まだまだ新参者です。保育業界に向けて出版する立場ではない、という思いもありましたが、保育学会での発表では、「こういう理念の浸透の仕方があるのですね」と共感していただきました。出版後は、有識者や保育業界の方からも「堅苦しくなくて楽しい」などと感想をいただいています。また、2019年度グッドデザイン賞もいただき、私たちが大切にしてきたことを、世の中に発信する意味はあったのかなと感じています。

加藤さん:介護事業も保育事業も、自分たちの実践知を、社内秘として抱え込むのではなく、躊躇なく世の中に出していくことが、使命だと感じています。見て、真似してもらえばいいですよね。

佐久間さん:子どもの世界も大人の世界も、相手を認めるということが大切です。このパターン・ランゲージには、相手を認めて仲間を作っていくために、大切にしたい言葉が詰まっています。どの世界でも、使っていただけたら、何かヒントがあるのではないでしょうか。

パターン・ランゲージの自社制作について

佐久間さん:私たちは自社でパターン・ランゲージを作ることに挑戦しましたが、25年の経験があったからこそ、言葉にすることができたのかもしれないと感じています。属人的な実践知を言語化する場合に、パターン・ランゲージは非常に有効ではないでしょうか。また、多くの人に理念を伝えていくためのツールとしても、最適だと感じました。

加藤さん:パターン・ランゲージは、手に取った人に、アイデアや気づき、想像を与えることができますので、アクティブ・ラーニングやディスカッションの場で、有効なツールとなります。パターン・ランゲージがあることで、話すきっかけになる、ゼロからネタを考えなくいい、経験値の差を超えて話ができるなど、会話のハードルが下がり、話すことが怖くなくなります。みんなでアイデアを出し合ったり、一つのことを達成したりすることが必要な場なら、どんな分野であっても、パターン・ランゲージを開発する意義はあるのではないでしょうか。いろんな業界・企業で、続いてほしいなと思っています。


私にとってのパターン・ランゲージとは、「その子の宇宙が拡がり続けるためのことば」そのものと語る佐久間さん



加藤さんにとってのパターン・ランゲージとは、「アイディアに構造を与えてくれるための仕掛け」


(取材・執筆 鯰美紀)